アニマルコミュニケーションのご案内

2010-10-20

喜びvs悲しみ

街を犬連れで歩いているせいか、よく道を聞かれます。
若干(?)方向音痴なもんで「ん〜あっちのほうだったかなー」みたいに漠然としてしまうことも少なくないので、聞かれそうな観光地とかお店くらいははっきり認識して暗記していおいたほうがいいな、と思い始めております。

それにしても、犬連れだからNYに住んでいるんだろう、と予想がつくのはわかるけれど、よく東洋人顔の私にフツーに聞くなぁ、と思ってしまいます。いろんな人種が集まっているNYらしいところだと感じます。そういう私もインド人風の人に道聞きましたけど。

昨日も今日も犬をカートに入れて街中を3時間くらい歩いていました。

犬がらみでいろんな人に声をかけられ、写真を撮られました。
「カワイイ!」「写真撮ってもいい?」「あなたの赤ちゃんね」「撮影料もらったらお金になるよ」「ゴージャス!」「コングラチュレーション!」などなど、ほんとスナオに声に出してくれます。その度会釈したり立ち止まったり、カメラからフレームアウトして待ったり。

でも、たった一度だけ、罵声を浴びせられました。

その人がゴミ箱の掃除をしていたのか探っていたのか、よく覚えていないけど、うちの犬を見るなりびっくりして、やがてすごく大きな声で「犬が乗ってるよ!なんだよ、!@#$%^&*」と何度か4文字語を繰り返して怒鳴っていました。マァあまり聴き取れませんでしたけど。

悲しかったけど、そう感じる人もいるだろう、いつかこういうことがあるだろう、とも思っていました。
むしろ好意的な言葉が続く期間が長く、多すぎたくらいです。

99%の喜びと1%の悲しみ、どっちに引きずられるか?

1%の悲しみは、不用意に胸に突き刺さってきて、99%の喜びの中では異様に目立ってしまうけれど。

いろんな意見や態度があるのは当たり前。そのことは忘れてはならない、とは思います。

でもたったひとつの言葉で傷ついて、あとのうれしかったことを帳消しにさせるようなもったいないことはしたくないな。

強く、大らかになんなきゃあ、と思うのであります。



タイムズスクエアにて、突然始まった撮影会を逆撮影



うしろのスポーツブランドの広告、走っている人の身体からDoubt・Misery・Fatigueの文字がわらわら出て行ってます。走ることで浄化されますよ、って意味でしょか。ちょっと気に入っちゃいました。


…私も走ろうかしら。

(Doubt=疑い・不信 Misery=苦悩・みじめさ Fatigue=疲労・倦怠)



ベンダーのホットドッグ屋さんのお兄ちゃんたちが風太と琴に爆笑して
「これ!身体にいいから!あげるよ!犬たちに飲ませてやってくれ!」
と言ってカートに放り込んでくれた真っ赤なゲータレード(笑)↓
「あたち、飲んでいいのかちら?」