アニマルコミュニケーションのご案内

2013-03-16

シャバアーサナ

今週はヨガのクラスに五日間も行った。
我ながら驚き。
友達と行っているからだと思う。
私は根本的にあまり人を頼ろうとしない人なんだけど、(人に道を聞かず自分で探したい時間かかるタイプ)なんだかびびっていて滞らせてしまい事が前に進まない時は、思い切って人を頼って助けてもらうような柔軟性が年取ってからついてきた。

今日は、支えてもらいながら、逆立ちのポーズに挑戦!
先生に支えてもらったんだけれど、先生は私の足を支えながらクラスにアドバイスし続けるので、私のひ弱な腕と肩は限界を迎えそうで、死ぬかと思った。
ああいう感覚は日常では無くて、どうしたらいいのかわからず、ただ必死。

どのヨガのクラスも最後はシャバアーサナというポーズで終るが、
このシャバアーサナとは“屍のポーズ”とはよく言ったもので、
時々、私はこの時、無というのか、「あ、死ぬ時こんな感じなのかな」という感覚に陥る時がある。

感情が無くて、濃くも薄くもなく、重くも軽くもなく、色もなく、喜も悲もなく、ただもわっとした感覚があるような。
アニマルコミュニケーションに入る時もこんな感覚になる時があるけれど、その時はもうちょっと軽さと明るさがあるかなぁ。

とにかく、そういう感覚に陥った時、
「風太が死ぬ時もこうだったのかな、、、」と思う。

こんな感じで、目の前の色がなくて、なんともなくて、プラスもマイナスもなくて、
で、ちがう次元へと行くのかな、って。

そう感じた瞬間、1mmくらい、風太が経験した“死”に 自分が近づいた気がする。


そして、涙が出てくる。


涙が出た瞬間、たちまち“生”に引き戻される。

生の感覚が戻ってくる。

涙は、生きている証拠だから。

だから、ほんの一瞬なの、風太の死に近づけるのは。


そんなんで、ヨガをやったからとて、やたらポジティブになるわけでなく、
なんだか中庸な感じになる。
喜も悲も表も裏も無いような。


でもそれもずっと続くわけでなく、ちょっとしたことでスイッチがオンになって、たちまちペットロス状態になってしまうわけで。

風太が死んで、1年と10ヶ月が経ったが、今も毎日思い、時々泣く。
けっこう、しょっちゅう、泣く。


琴がいてくれることとは、別。
でも、私が泣いてしまって、琴が「私だけじゃだめなのかな、、、」と思っていやしないかと思い、ハラハラする。


空はいつでも、空。
雨が降ったり、曇ったり、晴れたりするけれど、空はいつでも空。
お天気は変化しても、空は空。


あなたは、私の天使なのよ



なんかメッセージ、ちょうだいよ


がんばるのも、つかれるんだよね


がんばるけどさ


でも、今日もごはんおいしかったら、いいよね


だいじょうぶだよね




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