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2011-05-14

風太

これはDiaryだから、いつかこのことを書く日が来るんだろうと思っていました。


5月13日金曜日の朝、風太は死んでしまいました。

私と夫と琴といっしょに、ニューヨークの空の下、自分のカートに乗ったまま、旅立ちました。急なことでした。

心臓・肺・気管に病気があったので、急変することはあり得ます。結局死因はわかりませんが、最期までいっしょにいられ、たくさん思いを告げることができたと思っています。
意識がない風太に「風太の好きにしていいよ」と言えました。
私は風太といられて幸せだった、今もこうしていられて幸せだ、今まで本当にありがとう、楽しかった、嬉しかった、風太が私を愛してくれたこと、わかっているよ、って伝えられました。風太の歌も歌いました。ずっと風太の名前を呼びながら歩きました。

風太の故郷のニューヨークで、家族全員いっしょだったから、よかったと思っています。
苦しい時間も短かったと思います。

上の写真は12日の午後の写真で、とても元気でした。
横にあるカステラを小さく切ってあげると、すごく喜んで食べてくれ、それが最期に食べたものでした。
大好きなものを食べられて、よかったです。

このあと、私が外出から帰ると元気がなくなっていました。
「ボク、動けないよ」
と言いました。だっこしてカートに乗せ散歩に連れ出すと、足をあげておしっこをしました。
そのあと震えて、痛そうにしていて、家に帰るとやがて吐いてぐったりしました。

夜には目を開けたまま、私とも目が合いませんでした。それでも一生懸命体を起こしたりしていました。

どこか「覚悟しなくてはいけないかも知れない」と思っていました。
でも病院にいって検査されまくったり、入院したりしている間にお別れは嫌だったので、病院へ行くのは迷っていました。

翌朝になると人が支えても足を立てることができなくなったので、本当に危ないと思い、結局救急病院へ連れて行ってみることにしました。

でも私はどこか、もうだめだろう、診察や治療に期待は無い、このマンハッタンの空の下、家族いっしょに歩くことがいい。風を感じて、匂いや音を感じて、私たちの声と思いと手のぬくもりを感じてくれていたらいい、と思っていました。

何度も途中で呼吸を確認し、そのたび穏やかだったのですが、やがてその瞬間は来ました。
私はしっかりその瞬間を見届けました。風太はがんばりました。


病院で手続きをし、風太の体を抱っこしてキスしてお別れして、家に帰り、
どうしたらいいのか、わからなくなってしまいました。
何をどう考えたらいいのか、この気持ちをどうすればいいのか、わからない。
気持ちも体もどこにどう置いたらいいのか、わからなくなってしまいました。

風太は調子がおかしくなってから、ずっと日本の友達やその友達からたくさん光を送ってもらいました。私も苦し紛れでしたが最期まで送りました。
こんなに多くの光に包まれて旅立てた風太は幸運だと思います。
みんなに感謝しています。
メールや電話や、こうしてブログでも私の思いを聞いてくれて、ありがとうございます。


今日は昨日より少し穏やかな気持ちです。
きっと風太が一晩中、私がぐっすり眠り休めるようにしてくれたんだと思います。


まだ、魂は近くにいるようです。でもいずれは天国へ向かってやるべきことをやってほしいです。

一方で、風太と私の新しい関係がスタートするとも感じています。


肉体とはお別れは、ほんとうにさみしくてかなしいけれど、
魂を、すぐ近くに感じられ、むしろ肉体どうしより近い感じもします。
もう体をお留守番させるとか、ないしね。

風太はこの生での経験を終了することを選んだんだなぁ、と感じます。
ちょっと早かった気もするけど。でも風太らしい逝き方だ。


私は風太にいっぱい迷惑かけたけれど、愛して愛して愛したことだけには自信があります。
夫といっしょに、とにかく風太が幸せになるよう、楽しく過ごせるようやってきたという思いはあります。
これからももっとそうしよう、と思っていました。
「でももういいよ」って風太は思ったのかな?
風太もいっぱいいっぱい私たちを愛し、助けつづけてくれたと思います。

琴は今、少し調子を狂わせているようですし、泣いてしまう私を一生懸命心配しています。
いっぱい抱っこしたい。いっしょに乗り越えたい。


ブログの風太を見ていてくださったみなさま、ありがとうござます。

これからも、琴との生活を書いていきますし、風太の思い出も書いていきたいですし、風太の魂とのことも綴っていけたらいいなぁ、と思っています。


風太は最期までいい男でした! 大好きだよ!!!