低血圧な時は前に進みずらい、という感覚になるのはわかっていたのですが、腹痛は理由が思い当たらない。
でもなんとなく治ってほっとしたのも束の間、今度はいつもよりひどい腰痛に悩まされ始めました。
自力整体をやってもやっても治らないし、運動不足解消にウォーキングをしようと思っていたら今度は足首を痛めしまい、地に足をつけなくなってしまいました。
「これは、“理由は別でっせ”というサインかも…」と思いました。
実は、巨大な風太が目の前に現れるイメージも続いていて
「なんか言いたいことがあるんだなぁ」
とは思っていました。それがなんだかわからずに時が過ぎていました。
先週は巨大な太陽フレア(太陽で起きる爆発)が起きたらしく、それによって腹痛や頭痛など体調不良になる人がいると聞き、「ふーん、私の謎の腹痛はきっとそれだわっ!」ということにしていたのですが、その後ずーっと腰痛が続いて、なんか違う意味にも気づかなきゃいけない気になってきました。
ふと、ネットで「怒りがあると腰痛が起きる」という情報を目にして、はっとしました。
あるよ、あるよ、私。今、怒ってるね。
私が持つ怒りとは?
…それは、自分への怒り。
「風太を守りきれなかった、助けられなかった」
という“自責”や“後悔”の気持ちが高じて、もはや“怒り”となって自分で自分へ向けているのがわかりました。
「あの時病院へ行っていれば」「もっとほかの薬を探していれば」「もっと獣医を信用していれば」
などという思いを確かに持ち続けいていました。
そのたび、まわりの人々は理解を示し慰めてくれたし、風太だってメッセージをくれたけれど…でも私はまだその思いを拭い切ることができずにいたんだと思います。
私はその怒りの気持ちと向き合いたい、と思いました。
自分の持つ悲しみや自責や怒りなどというネガティブな気持ちととことん向き合って、どうしてその気持ちなのか、そして解決するにはどうすればいいか考えたい、と思いました。
ネガティブなものに浸って、そこにとどまっていてはいけないと思います。
時間がかかっても、必ず解決していく方に持っていきたい。
そのためには、“知らなくては”いけません。
逃げたり、ごまかしたり、紛らわしたりしていては、知ることができないのです。
私を慰める言葉、救おうとする声かけ、紛らわしてくれる楽しみ、などいろいろありますが、それらにたよりっぱなしでは、いつまでたっても解決しないのです。
それが、体へサインとなって現れたのです。
私は自分の怒りに気づき、解決方法は“許すこと”しかないと気づきました。
でも、そう簡単に自分を許す方法なんて、わかりません。
唯一の命を、自分のせいで失ったと思っているんですから。
yes か no かの判断を誤っていくことによって、最愛の命の喪失につながっていった、と思っているのですから。
ふと、iPhoneに入っていた瞑想への誘導データを聴いてみることにしました。
イギリス人と思われる女性の声はちょっと今の私には元気で力強すぎに聞こえてしまい、日本語訳の女性の声はちょっときどっているように聞こえ(笑)あまり集中できない〜と思ったけれど、
「今、持ち続けているその感情は、自分の魂を成長させますか?」
との問いに
「させないねぇー」
と、頭の中で即答していました(笑)
自責や怒りは、もはや自分を成長させないなぁ、と感じたのです。
「なら、捨てちゃいましょう」
ということなんですけど、
「いやいやいや、そんな簡単にできるかぃな?こんなに悔しくて悲しいのに?」
なんて思って聴いてました。
やがて「自分の前にある道を想像しなさい」とか言われて
「そこで出会った光の存在と、贈り物の交換をしましょう」
みたいなくだりがあって、自然に任せていると、
その光の存在は水色の玉をくれました。“信じる玉”でした。
私は薄いピンク色の玉を渡しました。“許しの玉”でした。
その“許しの玉”には“怒り”も入っているんだけど、どす黒い赤色は含まれておらず、ただただ清らかなピンクなのでした。
その清らかさに私は癒され、安心しました。
玉の交換をすると、私の心の中がぽっかり空きができた感じがしました。
今まで「自分を許しなさ〜い」などと言われても具体的にどうしたらいいかわからなかったけれど、
『ああ、許すって、託すことなのかも』
と思いました。
なんか、あれこれどうこうしなくても許しの玉を渡しちゃったら、託しちゃった、って感じがして、その玉があった場所がぽっかり空いて、軽くなっているのです。
不思議な感じです。
そして、左腰にあった腰痛がどんどん減っていっていることに気づきました。
心と体はつながっているとは頭でわかっているつもりでも、実際に体験するといちいちびっくりしてしまいます(笑)
風太が、ソウルメイトを通じて「ハンバーグを作って」と言ってきた件も、結局は
「ママ、もう自分を許しなよ」
と伝えたかったのだ、と気づきました…というか、ようやくそう認めることができました。
風太が、死んだ後も本気でハンバーグを食べられなかったことを残念に思っているのではないだろう、と気づいてはいました。(だから夫にちょっと反発した)
でも、いつまでも私がそのことを後悔して自分を責めているのをみて、プライドが高く頑固な私に、風太は手を変えてメッセージをくれたというわけです。
緑色のソウルメイトと夫に託して。
やるな、お風。
また風太に教えられちゃったよ。
私の中で、克服すべきテーマがいくつかあって、
不信感を抱きやすい。信じにくく疑いやすい。
自分を許せない。自分を責める。
というところがあると思っています。
これらはけっこうつらいですねー
だったらやめればいいんだけど、ただやめる、って簡単にできなくて。
だから、考えて、解きほぐして、気づいて、でようやくやめられる方向に向いていく、っていうのが自分らしい方法かな、と思っています。
不信は、警戒から来て、警戒は不安と恐れから来ていて、不安と恐れは無知から来る、と思っています。
自責するのは、自分が下した判断を信じていないからです。なんで信じられないかというと、判断した理由を忘れちゃった場合もあるけれど(笑)結局は自分の本当の気持ちに気づいていないからなのではないかと思うのです。
全部、同じことだなぁ。
琴の歯の件や、今回の腰痛の件、ハンバーグの件で気づくことができた気がします。
他者との信頼関係を結ぶには時間がかかって当たり前。
信じられなかったら、調べて、聞いて、知ればいい。
ネガティブな感情は、よーく知って、解決する。知らなければ解決できない。
自分を疑ったり責める気持ちがもう不要だと感じたら、捨てる、許す。
それが簡単じゃなかったら、託す。
そんな、感じ。
これらは私が最もありたい姿、
『自分を信じる、他者を信じる』
に通じる道です。うれしいな♪
それにしても…ここまであからさまに心と体がリンクしているとはね…
人生において、どちらへ曲がるのか判断できないでいる状態らしいです。
人生に間違った道はなく、自信を持って一歩を踏み出すといいらしいです。
一歩踏み出したかわからないけれど、これまた、痛みが減ったのは確かです。
(参考:チャクラ-癒しへの道 Frontiers of Health クリスティン・ペイジ著)